ゼネラル興産(広島市)は日本有数の観光地広島で、44年前から不動産業を始めている。当時は管理費無料が当たり前。オーナー第一主義だったという。山下泉社長はそんな貸し手優先主義からの脱却を唱え、広島県で手数料ビジネスを始めた第一人者。所有している商業ビルや店舗は市内で約6割を占めている。空室率が高止まりする近年、これからの管理会社のあり方について話を聞いた。
地方銀行員から脱サラビル450棟を企画
山下 生まれ育った地元広島で、不動産業を営んでいます。
亀岡 広島は私もゆかりのある土地です。新聞記者としての第一歩を踏み出したのが広島でした。当時は昭和20年、原爆が落ちた数カ月後で、建物も何もない状態でした。至る所に散らばっているがれきをかき分けながら取材をして回りました。
山下 一体が焼け野原になりました。しかし、その後の復興が早かったのは、当時の不動産会社がしっかりしていたからでしょう。
亀岡 現在はどのような事業をしているのですか。
山下 創業以来、広島の地域に密着した事業経営を心がけています。現在は広島市内の中心部で賃貸マンションや商業ビル、店舗などの設計や管理を手掛けています。また、土地の有効活用についてのコンサルティング事業にも力を入れています。土地調査から活用形態の提案、金融機関の選定まで行っています。
亀岡 私が亀岡大郎取材班を立ち上げたのが昭和49年でした。当時の賃貸管理業はまだまだ地位が低く、クレーム産業だといわれていた時代でした。昭和48年となると、不動産業の中では老舗ですね。
山下 それまで勤めていた地元のもみじ銀行を退行して、当社を立ち上げました。建設会社や設計事務所から依頼を受けて賃貸ビルの管理をしていましたが、テナントとのニーズが合わず、使い勝手の悪いビルが目立っていました。このままでは経営が立ち行かないと判断し、開業5年ほどで方向転換。銀行時代の財務経験を生かし、建築の勉強をして、ビル建築の企画や賃貸管理を軌道に乗せました。
亀岡 ビルを含めた管理戸数はどれぐらいですか
山下 住宅の管理が7000戸、ビルが約450棟になります。商業ビルや貸し店舗のシェアは広島市内で約6割を占めています。最近は広島カープの人気が高まっており、応援グッズの倉庫の管理や、試合を盛り上げるカープ女子のための寮の企画も行っています。広島ならではの取り組みですね。
ゼネラル興産
山下 泉 社長
1936年8月20日生まれ。中央大学卒業後、呉相互銀行(現もみじ銀行)に入行。1973年同行退職後、広島県でゼネラル興産を設立。日本ハンドボール協会の特別顧問を務めるなど、スポーツ界にも精通している。地元広島だけでなく、日本全国を飛び回っている。
- ゼネラル興産
- 本社所在地 : 広島県広島市中区三川町10番11号
- 設立 : 昭和48年7月17日 社員数 : 31人人 資本金 : 5000万円円
- 事業内容 : 不動産売買仲介、不動産賃貸仲介、不動産管理、不動産有効利用、ビル企画、コンサルティング、都市開発事業、不動産賃貸業、各種損害保険の代理業務
経済評論家 亀岡 大郎 氏
大正15年京城生まれ。新大阪新聞経済部長を経て、経済評論家となる。文藝春秋、サンデー毎日など一流紙で、経済・財界問題を中心に、精力的な活動を続ける一方で「自動車戦争」「ゲリラ商法」「IBMの人事管理」などベストセラー多数。