「仕事ができるとはどういうことか?」というテーマが私のライフワークだと思っている。
読書とプレゼンで鍛える
「仕事ができる」とは、「真に頭がいい」と言い換えることもできる。一般に学生時代には勉強ができると優秀な人だといわれる。しかし、学力レベルの高い学校を出ていても、必ずしも仕事ができるようになるとは言い切れない。
「勉強ができること」と「仕事ができること」は、一定の相関関係があるとは思うし、勉強しないより勉強したほうがいいに決まっていると私は思うが、残念ながらイコールではない。学者になるとか研究者になるとか、私はそれらの世界のことはよくわからないけれども、一般にビジネスの世界で生きていくには、「学校の成績では測れない種類の『頭の良さ』が必要」なのではないだろうか。
学生という立場が終わって社会人になると、頭の良さを測る物差しが、突然変わることになる。「『勉強ができること』から『社会に適応できること』に切り替わるのだ」。ちなみに私の会社は東京都を中心に、200人超のスタッフがいるが、上からトップ10人の人はそんなにいいといわれる学校を、私を含めて出ていない。
新卒採用で一つの基準となっている(できればこのクラス以上を取りたいという意味)G-MARCH(G-マーチ:学習院、明治、青山学院、立教、中央、法政大学のそれぞれの名の略)以上の偏差値の大学を出ている人は2人だけだ。
あとは、名もない大学か高卒である。しかし、仕事ができる連中だ。何が違うのか。何を習得すれば真に頭のいい仕事ができる人になるのだろうか。
判断や対応力向上 「国語」学習が最善
文部科学省の学習指導要領が2020年に改訂された。「生きる力・学びの、その先へ」として、単にテストでいい点を取って評価されるだけの勉強ではなく、「生きて働く知識・技能の習得」を目指すとのこと。「思考力・判断力・表現力」や「学びに向かう力」を伸ばしていくことを重視する方向へと変化した。
過去の「詰め込み教育」や「ゆとり教育」の反省点が生かされているらしい。要は、「自分で考えて、自分の意見をきちんと持って人と対話できること」「問題点を発見して、自分で考えて、自分で実行できる」人を育てるということだ。
これはまさに「真に頭が良くて仕事ができる人」をつくるということだ。文科省も、現在の変化の激しい時代において、これまでの知識習得一辺倒の教育では立ちゆかないと考えたのだろう。本当の意味での頭の良さとは、学力でもIQでもなく、「現実の社会を生きていくうえでのさまざまな局面における判断や対応のあり方」だ。
では、そのための学習は何が最善か。そして、これは学生だけの話ではなく、社会人も同じ話だ。それは、藤原正彦氏も、また齋藤孝氏も言っているように「国語力」だと思う。国語力とは「語彙(ごい)力」「要約力」「文章力」「論理力」「文脈力」のことだ。文脈力とは「意味をつかまえることだ」。(齋藤孝『頭がいい』とは、文脈力のことである)